相談員・促進員のひとり言【第128号】 竹井 寿満雄 促進員 |
今年の冬は私の住む牛深でも、というか特に天草地方に雪が多量に降ったようでした。雪道を走行する際に装着するチェーンというものを見たこともなく、街中にもそんなに売ってなかったと思います。陸の孤島状態になることが3日もあり、仕事の都合上本渡のビジネスホテルに宿泊しなければならない日もありました。
そんな記憶に残る冬も「2月は逃げる」「3月は去る」の言葉通り足早に過ぎ去り、やがて牛深に春の訪れを告げるハイヤ祭りが近づいてきました。
祭りの期間中は、街中にハイヤ節が鳴り響きます。ハイヤ節の名前の由来は、元々「南風」のことを九州で「ハエの風」と呼んでいたことが起因で、ハエがハエヤになり、やがてハイヤへと訛っていったといわれています。
古来より北側を山に、残りの三方を海に囲まれた天然の良港であり豊かな海産物の産地でもあった牛深港ですが、南風が吹くと海が荒れて出港できなくなるため、風待ちの港でもありました。牛深に寄港した船乗りたちは、陽気な「ハイヤ節」を肴に酒宴を開き、海が凪ぎになるのを待ったのです。
江戸時代、帆船の舵取りは一晩中唄うことが義務付けられていたそうです。船頭たちにとって、時化の時の酒盛りは唄を仕入れる格好の場でした。
このようにして次の港へと伝えられた「牛深ハイヤ節」は、徳島の阿波踊りをはじめ全国のハイヤ系民謡のルーツであるといわれています。
今年で47回目を迎えるハイヤ祭りは、始まったころに比べると参加者も半数ほどになりましたが、過疎化した街もこの時期だけは賑やかな当時の雰囲気を醸し出します。
牛深の街においでになって、賑やかな春を満喫されてみてはいかがでしょうか。
|